とりとめのないうた

本人に面と向かって言うのでなければ、何も言う必要なない。
本人が見ていないところで口にしたり、文字にしたりするのは、
その意見がまっとうであっても卑劣だし、なにせかっこわるい、めちゃくちゃ。
あるいは、もともと私の目にするものたちじゃないのを、
この便利で忌々しき時代のなかで目にできてるってだけなんだし。
見なくても良いもの、知らなくても良いもの、そういうものをきちんと
自分で判断しなければ、体が歪になってしまう。
気をつけたほうがいい。

いつだって頭でっかちだ。
気をつけたい。気をつけることはいいことだ。
自分の欠点やできないことを理解しているってことだから。
傲慢にならないように気をつける
頭でっかちにならないように気をつける

なんで自分は今ここにいるんだろう。
学校なんか嫌いだ、会社なんか腹立たしい、そんなことを考えながら日々を過ごしたりする。
でも、人がいる場所っていうのは、自分だけで選んだわけでもなく、
自分以外のことだけが選んだわけでもなく、そのどちらもが合わさって出た結果なのである。
それが不本意であろうと何であろうと、それがいまだ。
31歳の私はいまここです。
わるかぁーないけどギリギリでふらふらしている。

ある日を境に気が晴れたような気がした。
ずっと恐れていた可能性がとても低い現実感のないものなのではないかと思ったから。
だけどそれだって、他人から発せられた言葉を聞いて感じたこと。確証はない。
正直に言えばまだ恐い。
だけど少しだけふっと一歩下がった。
そしてやっぱり、好きなこと嫌なこと、好きな人嫌いな人、向かいたい場所を
自分の中で信じてやるしかない。誰かについていくわけではないし、
誰かを否定して生きていくわけではない。ただ、できるだけ自分の思うように動いていくしかない。
自分だけで自分の人生は決められないのだから、できる限りのことはしなければ足元を掬われてしまう。

人間、朝起きて体動かして仕事しておいしいご飯食べてグッスリ寝るが満足いけば
あとは特に何もいらない。あとは暇つぶしだけ。単調に思えるような
繰り返しの生活にこそ何もかもが詰まっている。けどここに制作や表現が関わってくると
一筋縄じゃいかなくなる。制作もいってみりゃ暇つぶしなんだけど、
人生かけた、生活なげうった暇つぶしだからな。
あとは一人一人が考える。私はもう少し自分に猶予を与えようと思っている。
きっと最後の猶予だけど、うまくいろんなものとかみ合って少しずつ最後に向かえたらなと思っている。
難しいな。できるかわからない。

最近、一人でご飯を食べたり、一人で飲んだり、一人で買い物をしたり散歩をしたり、
行きたいところに行ったり、ライブに行ったり、映画をみたりするのが好きだ。
何も話さず、とりとめなく考えたり、考えるのをやめたり、欠伸をしたり、ぼーっとしたり、
他人をじっと観察したり、ニヤニヤしたりすろ。そういった時間がしっくりくる。
人といると少し混乱するというか、ぶれそうなのか、何かをつかもうとしているのか。

猫がお布団の上で伸びて鼻を鳴らして眠っている
いつ見ても、何度見ても、こんなにかわいらしいものはない。
なんて幸せそうにねるんだろう。
耳までぺたんこにしてしまって。
勝手に選んで、勝手に連れてきて、勝手に去勢をして
勝手に家族だってことにしている。
だからあなたのために必ずもっとよくなります。
それは私のエゴを見てみないふりをして
なおかつ都合のいいようにした夢物語だけど
本当にそう思っています。

映画を楽しむ。っていうことが今日、少し分かった。
ふらっと見て、ただ単純に楽しめばいいんだ。
何かを得ようと躍起にならなくても、頭を振り絞ってわかろうとしなくても、
ただ、その世界に素直にはいればいいんだ。

週末、今にも崩れそうなあの飲み屋で会いましょう。