昭和かっ!!

 この現代において、他人の家のドアを、たとえ呼び鈴を鳴らしたからといって勝手に開けていいものではない。
家のドアは、その家の住人およびその住人に許可を得られた者だけが開けるものなのである。
そこへきて、私のいま住んでいる地域の、他人の家のドアの開け率の高さはいったいいかがなものだろうか?
 思い起こせば、私がまだ小さい頃は、コンコンとノックするのと同時に
「木原さ〜ん。いる〜?」と、近所のおばさんやらがバンバン他人の家のドアを開けていたし、
子供たちだって、ガチャ「じろうちゃん、あそぼー!」と勝手にドアを開けていた。
だけどそれはかまわないのである。古きよき時代の近所の住人同士のコミュニケーションなのだから。
鍵なんて誰もかけていなかった。
しかし!時代はすすみ、隣に住む人間も真っ赤な他人、東京砂漠なこのすさんだ平成の世において、
私の家の勝手にドア開けられ率の高さはいかがなものだろうか?!
金子さんや、玉井さんや、滝沢さんではないのである。
クロネコヤマトや聖書のなんとかや西濃運輸や酒のカクヤスなのである。
「ちわー。カクヤスでーす!」←(しかもうちの注文じゃなかった。しかも平日の朝だった)
「すみません。西濃運輸です!」
「お届けものでーす」
「あのー、私、聖書のー・・」
なごやかに、フレンドリーに、元気よくしている場合ではない。
その前に、呼び鈴を鳴らし、家の者がドアを開けるのを待ちたまえよ。
うちには、5割の確率で猫が外に出てしまうという大打撃もこうむるわけである。
では、「猫が居ます。勝手にドアを開けないでください。」や、
「勝手にドアを開けないで!」などの紙を貼ればよいのでは?だとか、
そもそも鍵かけろやと思われるだろうか?そうだろうか?そもそもというのならば、
そもそも、他人の家のドアは勝手に開けてはならないのである。
そうすれば、貼り紙をする必要もないし、猫が不用意にでることもないし、鍵をいちいちかける必要もないのである。
簡単なはなしだ。

それとも、私が住んでいる地域だけ実は、何かの拍子に空間が歪んでいて、まだ昭和なんだろうか?


だったら仕方がないなあ。