憧れはいつも彼方

憧れの風景がある。
世にいう(そんなに言わない)、猫団子というものである。
あたたかくして寝るのが好きな猫が、2匹あるいはそれ以上が連なってくっついて寝ている状態を言う。
それすなわち、仲が良いということである。
モフがモフモフになりモフモフモフモフモフモフとなるのだ。
こんなに幸せな風景があろうか。
平和の象徴をオリーブをくわえた鳩ではなく、猫団子にすべきである。

インターネットの世界では、この猫団子の写真がたくさんアップされている。
なんせかわいい平和の象徴なのでいたしかたないことである。
そして猫団子だけではなく、たくさんの仲の良い兄妹姉妹親子、または血のつながりはないが家族猫などが、
ペロペロしたり、くっついていたり、同じ格好でいたりという写真がこれでもかと見ることができる。

例えば、先住猫がいて、そこに新たに仔猫(の場合が多いが時には成猫の場合も)がやってきて、
初めは「フーフー」言っていた先住猫ちゃんも、あれよあれよというまに、新猫ちゃんにメロメロ。
新猫ちゃんは新猫ちゃんで、兄ちゃん、姉ちゃんが大好きにゃん!
とかそういうことである。

私が、何を言いたいかと言うと、
はっきりと言う。
そういうの見ると羨ましいんだ!!

毎日こんなことを想像している。
嗚呼、今日帰宅してドアをあけたら、二匹の猫はお出迎えなんかしてこなくて、
「なっ!何かがあったんじゃ?逃走?病気?」と居間にかけ込むとそこにはっ!な、なんとっ!
ね・こ・だ・ん・ごーーー!!!

いまだ叶えられていない。

いいんだ。ドキとごいしはこれでいいんだ。
わかっている。
ただ毎日、飽きずに少しだけ期待している。

でも私は確信している。
いつかこの憧れは叶うのだと。
だって私の憧れは叶ってきた。
まず、猫と暮らしたかった。
叶った。
この上もないほどの猫と一緒に住むことができた(現在進行形)。
ドキをこの世界で何よりも愛している。他に何も求めるものはない。
天使の猫。私は大いに満たされている。
まあ、ほんの少しだけ欲を言うことが許されるのならば、もう一度仔猫と戯れたいなー。
さらに欲を言えば、ドキはツンデレだから、その子が肩に乗ったり、膝に乗ったり、呼べば寄ってきたり、
ぴったりとくっついて寝たり、布団にもぐって寝たり、お顔をぺろぺろとなめてくれたり、
おもちゃをくわえて持ってきたりしたら、きゃわいいーーん!と思っていた。
叶った。
今その猫はうちにいる。名をごいしと言う。
この上なく幸せである。
ただ、何か違うのである。
こう、ニタニタとよだれを垂らしながら空想していたこにゃんこたんと何か違うのである。
私の憧れはたがうことなく叶ったのである。
でも何かが違うのである。
現実とはそういうものである。
憧れは叶ったその瞬間から姿を失くし、もう次の憧れへ。
現実のごししはやんちゃな暴君にゃんこである。
私の口癖は「おやめください〜おやめください〜」である。
ドキの口癖は「フーーーッ!!!(寄んな!くんな!うるせい!触んな!)」である。
だけどごいしはかわいいのである。
肩に乗っては、クンクンクンクン犬みたいに小さくなくのである。
目が合うとトコトコとかけよるのである。
頭をなでられては昇天しそうな顔でとろけるのである。
なにより、やわらかーくて、あったたかなのである。
それは冷めない白玉餅のようである。
人間のこともドキのことも大好きなのである。
朝は人間が外出するのをじっと見つめるのである。
帰ってくると、ごろんごろんしちゃうのである。
憧れは空想と異なり、それを凌駕するのである。

と、いうわけで私の猫団子への憧れはきっと叶うだろう。
そして予想に反してそれを上回るだろう。
ドキが猫又になり、人語をしゃべり始める日も近い。