私の真ん中で愛を叫ぶ

喜怒哀楽というカテゴリーがあるけれど、
まあ、その他にもいろいろな感情が存在します。
どんな感情にしろ、その湧き上がる感情をそのまま受けとめて、
外に放出するっていうのはなかなか簡単なことじゃない。


嬉しいということ
楽しいということ
好きだということ
幸せだということ
素晴らしいということ
感謝しているということ
ウキウキしているということ
ドキドキしているということ
感動しているということ
愛を叫びたいということ
哀しいということ
泣きたいということ
虚しいということ
嫉妬しているということ
怒っているということ
憎んでいるということ
嫌いだということ
苦しいということ
不安だということ
惨めだということ


どんな感情であっても、それを押し留めたり、隠したり、
なかったことのようにしてみたり、気付かないふりをしてみたり、
実際気付かなかったり、無理やり覆してみたり、人間はいろいろします。
大人になると余計するんじゃないかと思います。
その裏には、やっぱり、怖いって気持ちがいつもあるからだと思います。
どっち側の感情でも、その先を想像してしまうからでしょう。
失うこと、壊れること、無くなること、醜くなること、辛くなること、
そういったことが経験上やってくるんじゃないかってことに
いつも怯えているんじゃないだろうか?
自分のために、自分を守るために、メラメラと爛々とキラキラとしているそれらに、
体当たりでぶつかることに躊躇うんだと思います。
本当は、ぶつかっていってしまう方が潔いし、
もしかしたら、素晴らしいことが起こったり、手に入ったりするかもしれない。
でもやっぱり怖いんです。
大人はいっつも怖い。
弱虫なんだと思います。
なんで怖いかって言うとね、立ち向かう先が未知じゃない(ように見える)からです。
どうなるかわからない未知のものに向かうには、がむしゃらに突き進めばいいわけだけど、
大人になると、色々経験して、知ってしまったことが邪魔して、立ち向かう先に起こるだろうことが、
なんとなく想像できてしまって、無我夢中になることを阻むんです。
でも本当は、立ち向かう先にあることは、自分にとっては、大人になる前と一緒、
未知なものに変わりはない。だって、まだ起こってないんだから。
知恵を身につけて使うことはいいことだ。でも知識や経験で身を固めてしまうとろくな事がない。
でも怖いんです。


自分が崩れるのが怖い
自分がひきちぎれるのが怖い
自分がぶっ壊れるのが怖い
自分が傷つくのが怖い
自分が悲しみや憎しみに乗っ取られるのが怖い
幸せがいつか終わるかもしれないのが怖い
楽しみがいつかなくなるのが怖い
愛し愛されなくなるのが怖い
信じるのが怖い
希望や可能性がなくなるのが怖い
みんなブルブルしている。


でも、オノ・ヨーコが言ってた。
「たとえば『あなたを愛しています』と言うことを私たちは照れてしまいがちです。
人生はとても短いのです。本当の思いを表現し合うことをためらうなんて、
まったくばかげていることです。」


私は本当にそのとおりだと思います。
愛を叫ばなくっちゃならないと思います。
たくさん哀しいことはあるし、苦しいことはあるし、
傷つくことだってあるし、もう立ち直れないと思って呆然とすることもあるだろう。
わんわん泣くことだってある。
でも同じくらい素晴らしいことがあるはずだ。
心が愛にあふれて生命がみなぎって生きてることを実感できることがある。
その割合はきっと、いつの時代のどこの場所でもやっぱり変わらないだろうと思います。
きっと半々くらいじゃないかな。
それはずっと昔から変わらない真理みたいなものであるはずだ。
そうだからこそいつだって人間は生きて、生きているんだろ。