鼻について


もし、私の鼻が普通の人のようになったら、
私にはやりたいことがたくさんある。
まあ、簡単にいうと、思いの限り匂いをかぎたいってことなんだけど。

とりあえずお茶を楽しみたいなあ。
たくさんの種類を揃えて、たくさん飲みたいなあ。
私はお茶がとても好きですが、匂わないということは、
お茶を飲む楽しみ、意義の半分、いや、ほとんどを全うしていないということになる。
だってただの味のするお湯じゃん。
匂わなくてもお茶は美味しいし、美味しいかどうかもわかるんだけど。
醍醐味欠如。

匂わないの?ほんとに?ちょっとも?これっぽっちも?
一秒も?一日も?って思うだろうけど、
そうです。ほんのちょっとも匂わないんです。
ほのかな匂いも、強烈な匂いも、いい匂いも、悪い匂いも、何も匂わないんです。
想像できないだろう。毎日、24時間、何年も匂いの無い生活を送るなんて。
送ることができるなんて。

けど、匂うようになったら、お茶を飲むんだあ。

あと、料理にも確信が持てる気がする。
匂わなくても料理はできるし、美味しくもできるんだけど、
でもやっぱり最終的に自信を持って美味しいとか不味いとかわからない。
自分が作った料理も美味しいか美味しくないかわからないいつも。
それに、食べるのも楽しくなるかな、もっとね。
楽しいっていうか、感動、喜びかな。大袈裟ではない。
ご飯ってさ、味と匂いが相まってこそ美味しいんだよ。
匂わなけりゃ、サラダ油もごま油もオリーブオイルも同じだ。

あと、アロマオイルとかアロマキャンドルとかそういうの興味あるんだけど、
全く意味無くない?
あれって匂わなくても成分的な効能はあるんだろうか?
それともやっぱり匂うことによってリラックスできたりっていうこと?

部屋がいい匂いがするとか、
服がいい匂いがするとか、
お風呂がいい匂いがするとか、
とてもいいなあって思うんだけど、
なんせ匂わないもんでいまいちぴんとこないし、
どうしていいかわからない。
いい匂いもしないし、悪い匂いもしないから、
自分や自分の服や部屋や布団がどんな匂いなのか全然わかんない。
とてもいやなんだよ。

匂いっていうのは、記憶や経験ととても密接に結びついているから、
私にはそういうことが、ある時期からないんだなって思うと、
そういうのとても怖い。
誰かとずっと一緒にいてもその人の匂いは知らないんだよ。
だからその匂いをかいでも思い出すことも無い。
とても奇妙だ。
旅行に行ってもその国の匂いは知ることができない。
海外旅行に行ってその国の匂いを知れないなんてな。
あー、これはあの国であの時あの人があの場所で淹れてくれた、
あのお茶の匂いだなーって思い出さない。
あー、これはあの時眠くて寒くて疲れてたあの車の旅で真夜中に降り立った
パーキングエリアの匂いだなーとか思い出さない。
だってその匂いを知らないし、その匂いを匂わないし。
とても変だ。

好きな人の匂いもしない。
猫の匂いもしない。
家の匂いもしない。
街の匂いもしない。
木の匂いもしない。
花の匂いもしない。
朝の匂いも夜の匂いもしない。
晴れの匂いも雨の匂いもしない。

大きなものが欠落している。と思う。
思考や言動や感情や人生に多分すごく影響を与えてるよな。
うん、なんていうのか、いつでもボヤっとしていて鮮明になる瞬間がないって感じ。
何をしていても何を考えてても研ぎ澄まされてクリアになる瞬間がないって感じ。
匂わないって、言葉が出てこないみたいな、思い出せないみたいな、
右か左かわからないみたいな、そういう感じ。


手術すればいいじゃんてね。
そりゃそうだよね。
確実に匂いは手に入るよ。
ただし、二年ぽっちほど。
その二年のために、あの手術をまた受ける?
いやだなあ。
また匂わなくなるときの不安や恐怖を味わう?
いやだなあ。

私が匂わないにはきっと理由があるんだ。
蓄膿症だとかハナタケだとかそういう物理的な理由ではなくて、
もっと決定的な匂わない必要がある理由があるはずなんだ。
意識の奥底にある原因。
それを解決しないうちは、匂いを手に入れたければ、
切って血を流して無理やり手に入れ続けるしかないのだ。
いやだなあ。
でも、その原因を見つけて解決するのは大儀だよ。
わからないもの。
私の無意識よ、意識上の私は匂うことを願っていますよ。
そこんとこひとつどうぞよろしくおねがいもうしあげたてまつりそうろう。