ヒューマンビーン

人生に勝ち負けがあるのか分からないけど、
でもやっぱり負けがあるってことは誰でも知っている。
だからどうにか負けないようにと思ってやっている。
勝つことをしているわけじゃない。負けないようにしている。
負けたくねえから
負けるわけにいかねえから
シンジくんも言ってた。逃げちゃダメだって。

人間、好きなことよりも嫌いなことを並べる方が得意だ。
好きなことを思い浮かべてもその焦点はぼやけるが、
嫌いなことを思い浮かべるとそのイメージは限りなく鮮明だ。
何が勝ちかは分からないけど、
何が負けかは誰よりも知っている。
自分自身との勝負の勝ち負けを知っている。

何が勝ちかは分からないけど、
勝つ方法は一つ。
一生懸命やることだよ。


一生懸命ってのは、
かんばってるとか、
やってるとか、
なんかそういうのじゃなくて

文句も垂れず、見返りも求めず、打ちのめされながら、
だからといって綺麗事じゃなく、
不満を持ちながら、肯定しながら、否定しながら、
もがきながら、闘いながら、野望を持って、
今やることはこれだって、
自分がやることはこれだって、
これしかねえんだって、
やるからには力の限り、
目をひん剥いてでも鼻血を出してでもやり続ける。

そういうことだと思う。

最近ね、一生懸命な人っていうのは必ずちゃんと
埋もれずにやり続けていけるとわかった。
というか、埋もれずやり続けている人っていうのは
必ず一生懸命やっていることがわかった。

人が一生懸命やることを目の当たりにすると、
人はぶん殴られた気持ちになろうが、突き飛ばされようが、感動する。
脳味噌にも、心にも、体にも何かが、じわっとだか、ドカンとだか、ヅキンとだか知らないけど突き刺さる。
目の玉をおっぴらいて歯を食いしばるような気持ちになる。
胸をドンっと叩かれたような気持ちになる。
頭からよくわからない物質が分泌されてとてつもない高揚感を味わう。
真っ暗闇の中なのに、
やれるとか
信じるとか
そういったものを漠然としかし確信的に妄信できる。

一生懸命風なことをやったり言ってる輩は腐るほどいるけど、
必ずわかる。
一生懸命じゃなさそうに見えても一生懸命やっている人のことも
必ずわかる。
世の中はそういう風にできている。

少なくとも表現者ってのは一生懸命でなければならないと思う。
それでこそ自分を外に出した責任が持てるってもんではないだろうか。
ぶつけているんだから、そのことに対して一生懸命でなければいけない。
そして一生懸命でなければ伝わらないのが常である。

私たちはできることならば、人生に勝ち負けはないんだ、と言いたい。
でも本当は負けがあることを知っている。
そういう生き物である。
人間だけがそういう生き物である。
幸か不幸かそうなのである。

この体を使って、この手を使って、この頭を使って、この心を使って
一生懸命やるんです。
だせーな。でも一生懸命って大抵ださいんだよ。
ださくてかっこ悪くて恥ずかしいんだよ。
でもある瞬間から誰も罵倒もできなくなって、文句も言えなくなるんだね。
そういうもの。



ずーっとずーっと聴いていたかった。
頭がグワングワンしてももっと聴いていたかった。
だから、自分でその場を作り出すことにしよう。
そして、その中にいよう。
そいで、なんかよく分からないけど、
あの時、一歩も動きたくなかった自分を助けてくれた物に近づきたい。

「イメージしたら、イメージできたら即行動しろ。躊躇するな。
体制、体裁整えているうちにあの世から迎えが来るぞ」

「イエッサー」