真心芯

人と話すってことはやっぱり必要なんだね。
長らくの課題はやはり依然として課題のままか。
内に向かうは容易である。
外に向かうは困難である。
それは回路の問題でもあるが、
一つまやかしの変換をするが故である。
その変換が外に向かう欲動よりも上回るからである。
嘘をつくシステムと同じである。
まやかしを排除しなければ、
真に外に向かうことはできない。
まやかしを排除するには、
受容がなくてはならない。
それを拒否しようとするがために、
自分だけの我侭に行動することが、
逃げることが、いったいどんな効果を生むだろうか。
それとも、ここから逃げることで、
次こそ受容できるだろうか。
受容のための手段。
となるのか。
自分の欲が正しく作用していると信じるべきか。

限界かもしれない
なんて言葉を吐かせるのであれば
この頭でめぐっていることはただの愚である。
自我に支配された間違いであるとも言える。
愚が何も犠牲にせず、変わらず、己以外のものだけを排除し続けるのであれば
愚は愚でい続けるだけだ。

まやかしや鎧をまとわずとも、
失望や劣等に飲み込まれることなく、
ただの自然に、穏やかでありたいと思うことは
しょせん浅はかな妄想なのだろうか。

誰も愚かではないし、誰も神聖ではない。
誰も強健ではないし、誰も軟弱ではない。
ただ誰もが少しだけ余計に内側の利益に固執してしまうだけだ。