LIFE IS

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誰だって寂しいし、誰だって悲しいし、誰だって苦しいし、誰だってこわいじゃない。

それをさ、わざわざ「寂しいよねー、悲しいよねー、つらいよねー、どうしたらいいかわからないよー」

なんて言ったって、言い合ったって仕方ないじゃない。

ねー

だよねー

まーねー

わかるよー

不安だよねー

なんて言ってさ、くだらないじゃない。

意味ないじゃない。

それに、本当に寂しかったら、本当に悲しかったら、本当につらかったら、本当にこわかったら

お酒を飲みながら、煙草を吸いながら、ご飯を食べながら、にこにこしながら

そんなことを話せるものじゃない。

軽いじゃない。

それをわかってて言ってるところが腹立つじゃない。

私あんまりそういうの好きじゃないんだ。

あんまり好きじゃないというか、結構嫌い。

結構嫌いっていうか、すごく嫌い。

めそめそしやがって!うじうじしやがって!

でも、人間、本当に寂しいときや、悲しいときや、苦しいときや、こわくてしょうがないときがある。

そういうときはさ、気心おける友人と会ったり、話したり、遊んだりすればいい。

別に自分の中にあるダークなものや、弱いものや、めそめそうじうじを吐露する必要は必ずしもない。

友達っていうとさ、なんか「何でも嘘偽りなく話せる相手」みたいな定義があるけど、

もっとさなんかさ、「いるだけでいいんです」っていうのが友達なんじゃないかなって思います。

それぞれ寂しさや悲しさや苦しさや恐怖を抱えながらも、

いれば安心できる人たちのこと呼ぶのだと私は思っている。

隠すとか隠さないとか言うとか言わないではなくて、

そこに存在している自分が今の自分そのままでいる、いられる。

この感覚が友達の救いだと思っている。

例えば、自分が間違っても、卑怯なことをしても、煮え切らないでいても、

落ち込んでいても、進めないでいても、踏み出せないで居ても、不実でも、

ただ、その人であればいいという感覚。

それでいいです。

そういう自分の内側のこと、そんじょそこらじゃ口にも出さないことを

話してもいいなと思える人ってのに会えることがある。

話してもいいというか、むしろ話してしまいたい、

話したところで何もゆがまない人。

ゆがまないというのはその人との関係ではなく、話したその事実や出来事、その内容が。

もしそういう人と会えたのならそれは素晴らしい幸運である。

18歳の女の子がそういう人と別れることを経験する。

もっと大人は、しょうがない。まだ18歳。これから。大丈夫。って言う。

そりゃ言うよ。それは事実だから。

でも本人にとっては、しょうがないことなんかではない。

18歳の女の子の18年の人生の中ではとてつもなく大きな存在で他で埋められるものではない。

それは何歳でも同じ。

未来や可能性は見えないくらい大きいけど、

失ったものの大きさは一緒さ。

つらいだろうね。とてもね。とんでもなく。

よくわかります。

何をしても全然楽しくないんだよね。

自分が何なのか、自分が何をしているのかわからない。

何にも意味なんか感じられないし、かといって何にも腹が立たない。

そしてとても深いところにずーっと途絶えることがない重い川が流れている。

それにたくさんのことを考えるだろう。

たった一度のつまづきで。

あんなにわかったのに。

でもつまづきは一度じゃなかったかもしれない。

本当はわからないことはもっともっとあったかもしれない。

でもそれに気づくのにはほんの少し時間がかかるかもしれない。

とても強い意志をもった子だから、

きっとずっと自分の中だけでその石みたいなものを持ち続けるだろう。

でも残念ながら他人にはどうやっても解決してあげられない。

その石のありかは自分にしかわからないし、その石のあり様も自分にしかわからない。

その石を認識するたびに、また失ったもののことを考えるだろう。

自分はひとりだなってそのたびに感じるだろう。

でもあなたの友達は一緒にいてあげられることができる。

話したり、遊んだりしてあげることができる。

そうして、目の前のことに一生懸命になって、

目をふさいだり、耳をふさいだり、心をふさいだりしなくても大丈夫なようになれるといいね。

いつかその無気力から、虚無からぬけだして、

何かを生み出せる喜びや、楽しいやおいしいや嬉しいや愛しいを偽りなく感じれるといいね。

きっとその時は来る。

私もまだ経験してないけど、そうだって言えます。

言います。

もしいつか復活したら、鎌倉にでも遊びに行こう。

おごるよ。お姉さんだから。

でも昼からビールを飲んでも怒んないでね。

大人はね酒を飲んでもいいってことになってんだ。

それにまだわかんないよ。

よくわからないけど、そう思うよ。

でもね、まだわからないにしてもそうでないにしても

やるべきことに違いはないよ。

ただ、今を見て、今を感じて、今を生きていくんだよ。

ただそれだけでいい。

応援しています。