ツールズ ショウ ユー

菜箸が一つ
木べらが一つ
お玉が一つ
フライ返しが一つ
泡だて器が一つ
包丁が一つ
パン切り包丁が一つ

大匙
小匙
計量カップ
茶漉し
おろし金
たけざる
ボウル
栓抜きと缶切りとワインオープナーが一緒になったやつ

フライパン
卵焼き器
片手鍋
中鍋
大鍋
土鍋
やかん

金ざるやプラスチックのざるは便利だけど、
竹のざるでまったく問題がないことに気付いた。
なくていいんだね。知らなかった。
茶漉しは灰汁取りにもなる。
スパゲティをたくさん食べる人はトングがあると便利だけど、
必ずしもなくとも不便さは感じない。
特定の機能が付いた道具は便利だけど、持つときりがないから。
たとえば、マッシュする器具、チーズをおろす器具、油をスプレーできる器具、
ゆで卵を切る器具、なんか色々な切り方ができる器具。
こういったものはいただくのが一番良い。
布巾があればキッチンペーパーはいらない。
落とし蓋があればそういうペーパーはいらない。
オイルと小麦粉でクッキングシートも必要ない。
鍋蓋や食器でラップの代用はできる。
フライパンは鉄のものが大小あったら便利だけど、
小さいのは卵焼き器で代用しよう。
定食屋で働いていたときに感動した中華鍋は持ちたい。
小さいのなら女性でも片手で返せる。
すり鉢も持ちたい。
いつかもっと料理をするようになったら、
テフロンとかそんなのがついてない鉄のフライパンや鍋にするんだ。
鉄のフライパンは使いやすい。鉄の鍋も焼き加減が全然違う。
鉄のフライパンっていっても分厚い重いものでなくともいい。
私たちが子供のころ、ごく普通に家庭にあったようなものでいい。
鍋はね、鋳物琺瑯鍋とかが一つあればきっとなんて便利なんだろう。
月兎印のやかんにしたら、注ぎやすいこと。笛がついてなくても大丈夫。
大好きなお湯が沸いた時のシュンシュンする音が聞こえる。

とってもいい器具を最小限だけもつ。長く使う。
いいものって佇まいが美しい。そして使いやすい。
使いやすいから佇まいが美しいのか。
シンプルとかそういう佇まいではなくて、
手になじみ効率的であることを追求し、
無駄を省くと、そこにはいとも美しい器具ができる。
重みがあり存在感がある。
台所用品はその効率が身近に最もよく見えるところじゃないかな。
料理を見ればよくわかる。
綺麗で長く使えて無駄がないなんて言うことないじゃないか。
同じものを長く使うって美しいよね。
そこに愛着があるから。そこに使いやすさがあるから。
テフロン加工がはげたフライパンに対する人々の冷たい視線よ。
旦那の憎き浮気相手の御面相をみているかのよう。
2千円や3千円でかったメイドインチャイナの服に
汚れがついたり、穴があいたときの無慈悲さと同じ。
捨てるときになんの罪悪感も寂しさもない。
むしろ、はやく捨てっちまえ!なんてね。

とか言ってるけど、
トイレのブラシは使い捨てです。
雑巾じゃなくて流せるシート。
あのブラシが嫌いなんだ。雑巾でふくの嫌なんだ。
そんかし、フローリングは水ぶきにしてクイックルワイパーは使わないから許してちょんまげ。

それに、家電も好きですよ。
土鍋で炊くご飯はおいしいのだろうけど、独り身には炊飯器がいいよなあ。
電気ケトルはいらないけど、ホームベーカリーはほしい。
電気ケトルがなくても、絶対にお茶を飲みたくなるから、やかんで沸かす。
でもホームベーカリーがなければきっと私はパンを焼かないだろうから。
オーブントースターはあると便利なんだけど、きっと買わないだろうな。
でもホットサンド器は持つかもしれない。鉄のやつね。
ブレンダーやフードプロセッサーやスパイスミルは考えものだなあ。
スタンダードなミキサーが一つあれば事足りる気がするけど、
スパイスを手でする?しなそー。
食器洗い機は家族の救世主になるけど、
一人暮らしや二人暮らしには要らない。

洗剤だって、キッチンの汚れには重層があれば、本当に問題ない。
本当に綺麗になるから試してみたらいい。
本当に綺麗になるよ!
ほうろうのやかんとか鍋も綺麗になるよ!


質素に生きていきたいわけじゃなく、
すっきり心地よく生活していきたい。
節約するために自炊しているわけじゃなく、
作った方がおいしいし、楽しいから作っている。
ピクルスや漬物を漬けること。
梅干しや味噌を作ること。
シロップやジュースを作ること。
おやつを作ること。
食事を作ること。
その工程の楽しさ、心地よさ。
そのおいしさ。
豊かになるってよくいうけど、
豊かになるのは生活や暮らしではなく、その人間ですよね。
その人間の体が豊かになる。その人間の精神が豊かになる。
体が豊かになるってことは、血が、水が、肉が、骨が。
精神が豊かになるってことは、思考が、感情が、感受が、思想が。
お金はかからないけど、とても贅沢です。

マクロビとかは嫌いなんです。
でも素材のことやその製造過程を知ることは大切だと思います。
知った上で自分で判断すればいい。
なんかこう、判断基準がもうあるってところが嫌いなんです。
恐怖ですよ、毒ですよ、ってあれもこれもそれもどれも悪か。
肉を食べない、卵を食べない、白い砂糖は食べない、白い小麦粉は食べない、
牛乳は飲まない。でも野菜はいいんだ。植物はいいんだ。
自分で決めたならそれでいいんです。
その理由はきっと体の不調などのサインで、それが解消されることが結果です。
だったらその判断は間違っていない。
なんとなく理由も結果もなく(理由も結果ももうあって)盲信的な感じが嫌いです。
勧められても余計なお世話や。
白い砂糖を食べてるなんて信じられなーーい!ってか。
余計なお世話でしょう。

田舎で住むのも、自給自足も、こだわりの道具も、
こだわりの暮らしも、こだわりの人生も、
とても息苦しいく聞こえるのは、今日そんな思想やモデルが氾濫しているせいだろうか。
本来は当たり前で素晴らしいことなのになあ。
東京だってどこだっていいところだよ。
ようは、すっきり気持ちよく生活できていて、
自分で判断できていて、それでいいと、これが幸せなんだと
自分で思えればいい。

いつかその身体は朽ち、
風と共に去りぬよ。