分かったような気がするつもりになってしまうこと

色んなものを知れるってのは実は悪環境だよな
完全に余分なものを頭に入れすぎている
自分の核がゆらぎはじめてふわふわどっかいっちゃってんだ
もともとないみたいに
なくてもわからないくらいに
すぐ近くにもちょっと遠くにもずっと昔にもいいものが存在して、それを知っているし
いいものに混じったガラクタもそれ以上に知っている
本当に目指す目標なんてのはひとつあればいいよな
だっていろんなものを知ってもそれは自分のものじゃないばかりじゃなく、
自分のものを出すのに邪魔にさえなるんだから
それが良かろうと悪かろうと、どうせ自分のものを出した先にしか自分にとっての光は存在しなくて、
それ以外は意味が全くないのであれば、知る必要なんてないんだ


自分で手に入れたものだけが自分の真実だ
あれやこれは他の誰かの真実だ
手に入れられるか入れられないかを恐れるのはおろかだ
それは問題じゃない
手に入れられなかったらやめればいい


一つのことに集中しなければいけない
一つのものを最後までみとらなければ
それができた先で手に入れたものを持って、次の一つをみはじめなくては
あっちゃこっちゃ手を出して、あっちゃこっちゃ入れてはだめだ


脳みそを開放しなきゃ


こういうことを書いてると、なんかの宗教本みたいだ


私の脳みそは、単純なのか馬鹿なのかわからないけど、
こうやって頭のそとに出してやらないと、
簡単なことをぐるぐる考えるし、
考えなきゃいけない大切なことをぼんやりしてしまったりするんだから

文字で目からみないと整理できないんだ
体で頭で感じたままでいられないものかな
こうやって文字として出すと、それはもう何割も減ったものなのに、
すっきりしたような気になってしまったりするもんな