僕(K)

「−すみれがぼくにとってどれほど大事な、かけがえのない存在であったかということが、あらためて理解できた。すみれは彼女にしかできないやりかたで、ぼくをこの世界につなぎ止めていたのだ。すみれと会って話をしているとき、あるいは彼女の書いた文章を読んでいるとき、ぼくの意識は静かに拡大し、これまで見たこともない風景を目にすることができた。ぼくと彼女は自然に心をかさねあわせることができた。ぼくとすみれは、ちょうどふつうの若いカップルが服を脱いでお互いの裸体を晒しあうように、それぞれの心を開いて見せ合うことができた。それはほかの場所では、他の相手では、まず経験できない種類のことだったし、ぼくらはそのような気持ちのありかを損なわないように-口には出さずとも-大事にていねいに扱っていた。−


−そしてぼくは、いつか「唐突な大きな転換」が訪れることを夢見ていた。たとえ実現する可能性が小さいにしても、少なくともぼくには夢を見る権利があった。もちろんそれは結局、実現することはなかったのだけれど。
 スミレの存在が失われてしまうと、ぼくの中にいろんなものが見あたらなくなっていることが判明した。まるで潮が引いたあとの海岸から、いくつかの事物が消えてなくなっているみたいに。そこに残されているのは、ぼくにとってもはや正当な意味をなさないいびつで空虚な世界だった。薄暗く冷たい世界だった。ぼくとすみれとのあいだに起こったようなことは、その新しい世界ではもう起こらないだろう。ぼくにはそれがわかった。−


−そこにはぼくの居場所はあるだろうか?そこでぼくは、彼女たちとともにいることはできるだろうか?彼女たちが激しく愛を交わしているあいだ、おそらくぼくはどこかの部屋の隅でバルザック全集でも読みながら時間をつぶしていることだろう。そしてシャワーを浴びてきたすみれと二人で長い散歩をし、いろんな話をするのだ。そんな輪を永遠に維持することは可能だろうか?それは自然なことなのだろうか?「もちろんよ」とすみれは言うだろう。「いちいちきくまでもないでしょう。だってあなたはわたしのただひとりの完全な友だちなんだもの」−


−どうしてみんなこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう。ぼくはそう思った。どうしてそんなに孤独になる必要があるのだ。これだけ多くの人々がこの世界に生きていて、それぞれに他者の中になにかを求めあっていて、なのになぜ我々はここまで孤絶しなくてはならないのだ。何のために?この惑星は人々の寂寥を滋養として回転をつづけているのか。−


☆☆☆


「あなたと会わなくなってから、すごくよくわかったの。惑星が気をきかせてずらっと一列に並んでくれたみたいに明確にすらすらと理解できたの、わたしにはあなたが本当に必要なんだって。あなたはわたし自身であり、わたしはあなた自身なんだって。ねえ、わたしはどこかで-どこかわけのわからないところで-何かの喉を切ったんだと思う。包丁を研いで、石の心をもって。中国の門をつくるときのように、象徴的に。わたしの言うこと理解できてる?」