蝉時雨

夕方にある場所に行ってしばらく座ってみた
なんか頭に心に感じるものがあるかなと思って
その場所を見た一瞬だけはすこしズキとしたけど
何を考えるともなしに座って考えて
見えるものを見て聞こえるものを聞いていた
でも自分の思考が聞こえないほどに
サラウンド蝉の声


あの時はなかったな
あの時、もしこんなにも蝉の声がしていたら
話しなんて出来なかったかもしれない
いや、そんなことはないな
人間、集中するものを選ぶことが出来る


なんとなしにそこに来ている私の頭に浮かんだ
断片的な言葉や感情を蝉の音は浮かんではフッと消し、
浮かんではフッと消し、いつしか私の頭は真っ白に
蝉の生きている大音量を聞きながら、
烏の水浴びを見たり、木々の葉が絶好調に茂っているのを見て、
その場を立ち去る
特に考えることも、締め付けられることもなかった


なにも変わることはなかったけど、
もう31年間も繰り返し体感している、
この思考を停止させるような蝉の音と、
木々が暴力的に茂っていくさまと、
ムッとするような自然の熱気
葉っぱと葉っぱの間から零れる太陽の光を見上げながら、
ああ世界はなんて美しいんだ
キラキラと輝いていると思った
この美しさは胸を焦がす
別に涙が出るわけじゃない
感情が湧き出るわけじゃない
居ても経っても居られなくなるわけじゃない
ただ胸を焦がす
確かなものに感覚が静かに戻ってくるような感覚
戻って変わらず美しいと思えることに胸が焦がれるのか
そして昨日、蝉の抜け殻を嬉しそうに手にとって大事そうに持って帰った子供を思い出す。


あの、小さいことなんかどうでもいい、
腑抜けな生活や、自己に興味を持ちすぎる自意識や、
一所に留まって居れる甘さなんかどうだっていいよって
そんなこと言っている暇もないような、蝉の一生懸命でもなんでもない
ただそうだから泣いている大音量を聞きながら目を閉じてると
なんだか白くなってきて眠たくなる
毎年味わう、この頭が解放される感じ
気が遠くなる感じ
意識が飛びそうになる感じ
思考はストップするけどでも、確かに存在している
体中が全てを感じている感覚


世界は変わらない
それは残酷だけどとても素晴らしいこと