祝福を与える

「―しかし戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望の無い至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ。―」


「感じたことをことばにするっていうのはすごくむずかしいんだよ」と私は言った。
「みんないろんなことを感じるけど、それを正確にことばにできる人はあまりいない」


よくわからない、そうかもしれない


 私は声をあげて泣きたかったが、泣くわけにはいかなかった。涙を流すには私はもう年をとりすぎていたし、あまりに多くのことを経験しすぎていた。世界には涙を流すことのできない哀しみというのが存在するのだ。それは誰に向かっても説明することができないし、たとえ説明できたとしても、誰にも理解してもらうことのできない種類のものなのだ。その哀しみはどのような形に変えることもできず、風のない夜の雪のようにただ静かに心に積っていくだけのものなのだ。
 もっと若い頃、私はそんな哀しみをなんとか言葉に変えてみようと試みたことがあった。しかしどれだけ言葉を尽くしてみても、それを誰かに伝えることはできないし、自分自身にさえ伝えることはできないのだと思って、私はそうすることをあきらめた。そのようにして私は私の言葉を閉ざし、私の心を閉ざしていった。深い哀しみというのは涙という形をとることさえできないものなのだ。






誰かを羨ましいと思うことが私にどれほどのマイナスの影響を与えるのか?
もしくは、どれほどのプラスの影響を与えるのか?
もしくはそのどちらでもない、そうであればいったいどのような影響を与えるのか?
それは今はわからない。もしそれをわかる時が訪れるんだとしたら、もっとずっと後になって
静かに自分の部屋で朝食を食べているときなんかに、ふっと突然に、けれどもとても正確にわかるんだろうと思う。