It was too late


Ray of Light 1

買ったまま読まない本がある。
そしていつの日か読む。
するとぴったりくる。

宗近君はいいことを言ったよ。
「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、なんでもない。ときどき真面目になるからさ。なるからというより、なれるからといったほうが適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出ることはない。真面目になれるほど、腰が据ることはない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚することはない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になってはじめて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけてはじめて真面目になった気持になる。安心する。実をいうと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。−どうだね、小野さん、僕の言うことは分からないかね」

そして小野さんは、こう言った。
「いえ、分かったです」


私が読む物に対して、他の他人が表現したものより肩入れをする理由は、
この手にしたときが欲しいとき、の確立が群を抜いて高いからだと思う。
(これは読み物のもともとの性質でもあるが)
虞美人草を買ったのはもう思い出せないくらい前で、
今まで何度も読もうとした。
だけど買ったときに読んだんじゃきっとわからなかっただろう。
何度か手にしたときに読んでもきっとまだしっくりこなかっただろう。
今だから素晴らしいと思った。
音楽なんかもそのときってのがあるけど、
読む物との感覚的な出会いは多いなやっぱり。
信頼感はんぱねっす。


いろんな関係や理由やわけがあるだろうけど、
ここというときは軽薄じゃいけない。
真面目にならなくっちゃいけないときがある。

真面目になろうと決心した日があった。
真面目にならなければ壊れてしまうだろうと思った。
真面目になって自分も関係も新しくきれいになればと思った。
決心したそのときはイットワズトゥーレイト。
読了後、ふと、私はあの時一度死んだのかもしれないなと思った。
死んだ後、同じ体で、続きのように今を生きているのかもしれない。
あれからいろいろなことがへなへなと上手く足を運ばない。
思うようにあれもこれも進むことがない。
だけどよく考えれば、それはそうだ。
だってまだ始まったばかりだ。