ママだって、人間/母がしんどい


田房永子の「ママだって、人間」をやっと読んだ。
エイコ、うける。とてもおもしろかった。
ははってははじゃなくて、人間なんだなーってタイトル通りのことを思ったよ。

実は、「母がしんどい」は一度読んだ(友人に借りて)きり、
一度も読み返していない。
こちらもタイトル通り、(私も)しんどかったから。
はだしのゲンをもう二度と見たり読んだりしたくないような、
ほたるの墓をもう二度と見たくないような気持ちと似ていた。
自分で購入しなかったのも、自分の本棚に持っていたくなかったのだと思う。

それに続く「ママだって、人間」を読むことで、
抗えない絶望や失望だけでは持ち切れないくても、もう片方の手に、
そこから生まれた苗を持てれば、天秤は振り切らないだろうと思った。

しかし、同級生がこうやってぐいぐいと頭角を現して、
名だたる人たちと名を連ねているのを見るとなんだか、
ゾクゾクしますね!ゾクゾク。

彼女はほんとうに、在学中から、自分で売り込みに行き、
ルポライターやって、文字通り、体を張って活動をしていた。
彼女がそうやって体を張って突っ走れたのは、皮肉ではあるが、
彼女の歩いてきた、抱えてきた人生があるからできたことだと私は思ってる。
生い立ち、育ってきた環境、母(父)、そういうものが
彼女がそういう行動をおこせる土台を作っている。
だからそれらは彼女のありがたくない問題であり、
同時に武器にもなったのではないか。
その武器も諸刃の剣である。
自分(肉体も精神も)を大事に思えない、思わない、
だからこを体を張れる。
人生は皮肉だ。
一番欲しい表の裏は、一番知りたくないこと。

彼女には人とは比べ物にならないほどの、
社会に出なくてはならないという執念のようなものがあった。
そして、皮肉にも手に入れた武器で戦ってきた。
死に物狂いっていうんだろうこれが。
生きるために。
自分が生きていくために。
自分が自分として成り立つために。
そして、自分のそういった核となるもの(皮肉にも)を
満を持して自分の中から出して社会に放り投げた。
それはそれは重くてかたい熱い焼け石だ。
みんな見たことがなかった。
いや、見たくなかった。
目をつぶっていた。それから目をそらせていた。
でもものすごく熱いから存在だけは否応なく感じていた。
その目を彼女がこじ開けた。向かせた。
見なよ。ちゃんと見なよ。って。
でも、
大丈夫。
大丈夫だよ。
大丈夫でしょ?
大丈夫じゃない?
って言ってる。
これはこういう形で、重さで、色で、大きさで、温度でって
ちゃんと見てみたら、
なるほど、醜い。ひどい。汚い。
でもだからなんだっていうんだ。
それはそれでそういうものってだけなんだ。
もうあなたは、それを見ることができる。
見ることができるってことは、許容できる。
受け入れられる。
怖くない。
恐ろしくない。
脅威じゃない。
もう他の色々とおんなじだってわかる。
そうか。これはこれなんだって。

彼女はソレを放り投げたけど、
ソレはちゃんと素敵にクリエイトされていた。
素晴らしくキュートに、チャーミングに。
面白くて可愛くてユーモラスで賢くて洞察に優れた
素晴らしい熱い焼け石。


「母がしんどい」にでてきた、
小さい自分(=この世で唯一100%自分の味方)の概念を
他人に説明したことが何度かあった。
さまざまなことで悩んでいる他人に対して、
このアイデアはゴールへワープできる力を持っているから。
でもいまだうまく説明しきれず、無念である。
だからみんなそれぞれ読めばいいと思います。
読むのがつらければそこで読むのをやめて、
また読みたくなったら読めばいいのです。
この本は、自分の中のよそ見している部分を、
誰の中ででも、どこかでチクチクすると思う。

ちなみに私はこの小さい自分に見事に助けられたことがあります。
悪いのは自分で、でもどうしても嫌で、
世間的にいえば、それはお前が悪いよ、失礼だよ、
ちゃんとしろよってことなんだけど、
小さい自分が、「もうやめなよ。」って言ったの。
で、あ、これが小さい自分か。ってその時気づいた。
だからこれは自分の絶対の味方だから、
誰に何を思われても言われても味方いるからいいやって、
それに、小さい自分には逆らわないほうがいいみたいだから、
(エイコは痺れたりしていた)
やーめたっ。ってそのとき一瞬で決めた。
そうしたら、ずっとギュッと握りしめられているようだった胃がふわっと解放されて、
顔を前にむけられて、顔の筋肉が柔らかくなって、
目に水分が戻ってきて、たまり渦巻いていたため息は消え失せ、
胸の中をはねる何かを感じることができた。
夜の池袋から自宅まで自転車をかっ飛ばせた。

ありがとう。
あのとき、この本を読んでなかったらきっと気付けなかった。
小さい自分のサインを無視して、吐くところだった。
気づいたことで、自分の浅はかさや卑怯さを知ることもできた。
あー、根底にこんな気持ちがあって、だから嫌なのに怖いからやってたんだな。
ってわかった。
そしてら、まあ、そういうのが自分なんだから、
自分でやって失敗しても、そうなるよなって納得できるな。
って思えた。

これこそ、許容なんだよな。
人間、一番許容できないのは、
まぎれもなく自分だ。


エイコがうけるし、夫は良い人だし、
Nっちゃんはかわいいし。
(っつうか、子育て漫画なんだけど赤ちゃんにはあんまフォーカスされてないんだよね。
あくまでママ(と夫)中心。そこがいい)

個人的に、
小雪が大雪になったところと、
ヨガの結界シーンがヨガの本髄をついているところと、
最後にエイコがNっちゃんに「ごはんだよー」って言ってるシーンが好きです。

「母がしんどい」は、しんどいけど、やっぱり、母がすごいんだw。


「母がしんどい」と、「ママだって、人間」がごちゃごちゃ交錯した文章になっているが、
要は、「母がしんどい」を読んで、「ママだって、人間」を読めばいいのです。

面白い読み物としてもおすすめですよ。